HAPPY BIRTHDAY! 〜 前日 〜
7月25日直前のある日 ―― 「ええ?まだ決まってないわけ?プレゼント?」 期末テストも無事終わり、もはや夏を待つばかりの星奏学院の森の広場で、呑気にお昼のパンにかぶりついていた天羽奈美は隣で同じくパンを握っている日野香穂子の言葉に思わず聞き返していた。 その彼女の向こうで1つ下の後輩、冬海笙子も目を丸くしている。 「うん。」 二人の間で香穂子は頷いて、1つため息をついた。 「ちょっと待ちなさいって。確か土浦君の誕生日って7月25日でしょ?とすると、もう3日もないよ?考えてなかったの?」 「ううん。考えてたよ。だけどさあ、考えれば考えるほどわからなくない?男の子の誕生日プレゼントなんて・・・・それも」 (初めてできた『彼氏』へのプレゼント、なんて。) 口に出し切れなかった部分だけ反芻して香穂子は再び、はあ、とため息をついた。 ―― 土浦梁太郎、学内コンクールに参加した香穂子の元ライバルであり、同時にヴァイオリン・ロマンスなんてご大層な逸話で自他ともに認められている香穂子の恋人。 その彼の誕生日が7月25日で数日後にやってくる。 それなのに決まらないのだ、プレゼントが。 土浦本人はそういう事には大してこだわりがなさそうだけど、折角最初の誕生日だし香穂子としては想い出に残るような物を贈りたいと思っているというのに。 「でもさ、月森君みたいに音楽一本!ってわけでもないし、何か思いつきそうなもんじゃない?土浦君なら。」 「そう、ですよね。サッカーとか・・・・もちろんピアノもありますし。」 「うん、まあ、それでもいいんだけど・・・・」 歯切れの悪い返事をする香穂子を見て、天羽は何かピンと来たようににやっと笑う。 「ああ、そっか〜。香穂子さんとしては、最初の彼氏の最初の誕生日に何か特別な物を贈りたいわけですね?」 「うっ・・・・う、ん。」 「そっか、そっか。いやあ、いいねえ。香穂子、可愛い!」 「天羽ちゃん!!」 ぎゅっとばかりに頭を抱きしめられて香穂子は恥ずかしさに真っ赤になって叫んだ。 「もう、からかわないでよ。結構必死なんだから。」 「あはは、ごめんごめん。でもそれなら話は簡単じゃん。」 「ふえ?」 「?」 香穂子を解放してけろりと言う天羽を見て、香穂子はなんとな〜く嫌な予感を覚える。 「だ・か・らv当日、香穂子が綺麗に着飾って首か頭にでもリボンを巻いて、プレゼントはあ・た「天羽ちゃんっっっ!!!!!」」 「ああ、先輩!ジュースが!」 思わず香穂子が握りしめたジュースのパックが情けなく悲鳴を上げるのを慌ててハンカチで冬海が押さえてくれた。 「ごめん、冬海ちゃん。」 「い、いいえ。」 「そうだよ〜、まったく落ち着きがないなあ、香穂。」 「誰のせい!?」 「私のせいか。だって〜、それが一番『特別』なプレゼントでしょ〜?」 「うっ、そりゃあそうかもしれないけどさ・・・・」 いまだ赤さの残る頬をそっぽに向けて、香穂子は何とも複雑に口を曲げる。 そして目線を落として、少し真面目な顔で続けた。 「全く考えなかったわけじゃないんだけどね。・・・・でも、なんだかそういう事はもっとゆっくりでもいいかなって思っちゃって。だってもったいない気がするんだもん。 ゆっくり恋して、1つ1つ色んな事を教え合って・・・・そのうち、全部。そんなのは呑気すぎる?」 ちょっと首を傾げて問いかけてくる香穂子はとても無理のない綺麗な笑顔で、それが彼女の本心だとわかるから。 天羽は笑って肩を竦め、冬海は微笑んだ。 「いいんじゃないの?香穂子らしいよ。」 「はい。そんな風に気持ちを大事にしていけたら素敵な恋になると思います。」 「ありがと。」 「んで、当初の問題が残る訳ね。」 「〜〜〜ん、そう。」 さっきまでの表情と一転、眉間に皺を寄せてむ〜〜〜と考え込み始めた香穂子を見ながら天羽と冬海はこっそり苦笑した。 結局、当てられているような気がしないでもないが、それでもこんなに真面目に悩んでいるのなら少しのアイデアも提供しないのは友達がいがないというものだろう。 ・・・・というより、こんなに香穂子が悩んでいる事自体が十分すぎるほどのプレゼントでは?と思わないわけでもなかったが、とにかく二人は思い思いに土浦梁太郎から連想される物を片っ端から並べていくのだった。 ―― 7月25日前日 すでに夏休みに入って人気のない講堂で香穂子は一人いた。 数日前の土浦連想ゲームもむなしく、結局これ!というプレゼントに行き着かなかった香穂子はやむなく一番イメージに近かった演奏のプレゼントをすべく練習のために講堂にやってきた。 (何となくすっきりしないけど・・・・) ヴァイオリンをケースから出して弓をはりながら香穂子はちらっと傍らの楽譜に目を走らせた。 ファータ印の『愛の挨拶』。 他ならぬ香穂子と土浦のヴァイオリン・ロマンスを成就させたこの曲なら『特別』には違いない。 それなのになんとなく釈然としない気分のまま、香穂子は調弦の為に講堂のステージに鎮座したピアノに近づいてぱかっとフタをあける。 深紅の布を捲れば白磁と黒檀のコントラストの鍵盤。 香穂子は無造作に鍵盤を1つ叩いた。 ポーンッ・・・・ 「わっ」 あまりの残響の美しさに香穂子は思わず声を上げた。 静かだった湖面に大きな波紋を描くような音。 擦弦楽器のヴァイオリンとは明らかに違う音の響きに知らず知らず感嘆のため息が漏れる。 そして同時に思い出したのはこの鍵盤をなめらかに滑る指だった。 少し考えて、香穂子はヴァイオリンをピアノの上に丁寧に置くと、椅子に座る。 いつもはここの座っている土浦の仕草を思い出しながら丁寧に。 (椅子は引きずらずに、少し下げてペダルまでの距離を測って・・・・) 1つ1つ、やってみると難なく土浦の仕草を再現できる自分に自分で驚いた。 椅子の高さを合わせる仕草、譜面台を立てる順番、鍵盤に指を下ろすタイミング・・・・。 (ああ、そっか。) ふいに、香穂子は自分がこんなに正確に土浦の仕草をトレースできる理由を思い当たった。 (いっつも見てるからだ。) 土浦がピアノを弾く仕草を。 というよりも土浦を。 1つ1つの仕草すら覚えてしまっているほど、無意識に。 (土浦君が好き・・・・だから。) ―― ころん、とここ数日の悩みに答えが出た気がした。 物はなんでもいいかもしれない。 相手がそこそこ気に入ってくれる物ならなんでも、物でも、音でも、それこそ自分でも。 大切なのはそれに籠める気持ちなのだ。 今、胸の中にこぼれ落ちたような暖かい大切な気持ちをちゃんと籠められれば、それはきっと『特別』な誕生日プレゼントになる。 他の誰よりも、何よりも大好きで、産まれてきてくれたことを本当に嬉しく思う・・・・そんな気持ちを。 「・・・・なんかストーカーみたい。」 気恥ずかしさに自分で自分を茶化して鍵盤を叩いてみる。 ポーンッポーンッ 音が弾むように講堂に響いて急に何か曲を弾いてみたくなった。 もちろん土浦(ほんにん)のようにはいかないから、仕草だけなぞって講堂に響く音楽は昔懐かしの「ねこふんじゃった」。 一瞬、土浦が「ねこふんじゃった」を弾いているような錯覚を覚えて香穂子は思いっきり吹き出した。 見つけた答えはプレゼントのためだけではなく、自分にとってもなんだかひどく気持ちが良くて、一人だという事とわすれるぐらい笑う。 「これは、明日、本人にひいてもらわなくちゃだね。」 (もちろん、その前にこれでもかってぐらいに気持ちのこもったプレゼントを受け取ってもらうけど。) 目尻に浮いた涙を拭った香穂子は、よしっと1つ気合いを入れて立ち上がってヴァイオリンを取り上げる。 構えたヴァイオリンの指盤の先には、土浦の姿を見ながら。 (・・・・曲だけで駄目だったら、言ってみてもいいかな。) そんな事を想いながら香穂子は弓を弦におろした・・・・ ―― 翌日、練習の成果ばっちりの『愛の挨拶』と香穂子の全開の笑顔の告白が土浦にとって『特別』なプレゼントになったことは言うまでもない。 〜 END 〜 |